111 ■プロローグ■~初出勤の朝~
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「えっと……おはよう……ございます」
今日は入社後初めての出勤日だ.会社からの案内通りに社屋6 階の実験室に入ると,二十数名の人がいた.面接の時に見た顔もいる.配属については開発部だということ以外,何も聞かされていない.この人達が同じ部署なのだろうか.
「おはようございます.みなさん揃ったようなので始めます」
部屋の隅に座っていた黒い作業服の背の低い男が立ち,挨拶を始めた.オールバックで髭をはやし,メガネをかけている.
「これから約2 週間,皆さんの指導を担当するF です.よろしくお願いします」
昭和な空気を漂わせたF と名乗るこの人はどうやら研修指導員らしい.
「今からお話しすることは開発部の業務説明……ではありません.今日から二日間,ある開発課題に取り組んでいただきます.それを通じて,皆さんの思考特性,グループワークの適性などを見せてもらいたいと思います」
やれやれ.せっかく試験や面接に合格して入社したのにまたテストか.他のメンバーもざわついている.
「ああ,これはテストではありません.研修の一貫です.皆さんはわが社にとってかけがえのない人材です.わが社で育ちわが社で活躍をしてもらいたい.だからこそ,どんな能力をどういう場面で発揮できるのか,じっくり見せていただきたいということです.現在,わが社は社運をかけて,ある周波数選択装置つまり特殊なチューナーを開発しています.そのためには精度のよい測定スキルと回路開発のための柔軟な発想がどうしてもほしいのです」
その言葉を聞いて少しだけホッとした.
「では課題をお伝えします.開発回路はLCR 直列共振回路です.課題は3つ.
(1) $ LC 直列共振回路の周波数特性($ f_0 , Q_0, \Delta f) を調べること,
(2) 回路の$ Q_0値を 100 倍に向上させるアイデアと実験プランを立てること,
(3) 各種測定により回路素子$ R, C, Lの値の測定精度を確認すること,です」
ざわつきが大きくなった.$ Q_0値ってなんだ.100 倍ってどういうことだ.
「お静かに.大切なルールを3 点お伝えします.
a. 実験はここに与えられた物だけを使うこと.
b. グループで行動すること.グループで協力して知識を補い,情報共有し,今言った開発課題をクリアしてください.
c. 与えられた時間は2 週間です.この間に必要な実験・計測,データまとめ,考察を行い,指定された日までに全員レポートを提出してください.配布されたプリントにグループ分けが示してあります.グループ毎に集まって下さい」
僕たちはプリントを見て指示された通りに集合した.恐る恐る聞いてみる.
「ええと.実験装置ってどこですかね」
部屋をキョロキョロ見渡していると,グループの1人が機械と器具を見つけて持ってきた.
「使えるのはこれだけみたい」
みると測定器らしき機械と,あとは回路を構成するであろうシャシと回路素子だけのようだ.
「では,私は少し席を外しますので,各グループはディスカッションと実験を始めてください.困ったらこのヒントを思い出してください.
(1) 『発想は空を飛び,作業は地に足をつけて』,
(2) 『条件はシンプルから始める』
です.では楽しんで」
こう言ってにっこり笑うとF氏は踵を返した.
どういうこと?僕たちは顔を見合わせる.と,F氏は部屋を出ていく直前に振り返り,
「そうそう.社長が,今年の新人はすごいらしいぞ,とものすご~く期待していました.くれぐれも期待を裏切らないよう,各自努力を惜しまないでくださいね.では楽しんで」
はぁぁ. プレッシャーという印鑑を額に捺印されたみたいだ.いや,ぼんやりしている時間はなさそうだ.ともかくまずは,素子を測定して実験系の精度を見極めることが先決らしい.
僕達のグループは顔を見合わせた.
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以上.
2024/4/8